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今夜の番組チェック

第四話 開花
-florescence-

1.

 圭一さんと同棲してみて、悪い人ではないことはすぐに感じ取れた。 一人ぼっちになってしまったわたしのことをいつも明るく励まそうとしてくれたし、 わたしが口を開かないときは無理に喋らせようとしなかった。 それに、今までは一人で生活していただけに、わたしにかまう傍ら家事もしっかりとこなしていた。 特に、初めて圭一さんの作ってくれたカレーは、今まで食べてきたそれより遥かにおいしかった。 もちろん仕事のほうもきっちりとこなしている。平日は毎日大学へ勤め、 時々学会の方に顔を出しているようだった。 帰ってきてからも仕事の続きで、部屋にこもってパソコンと向かい合っていることも多かった。 そんな圭一さんに、わたしが初めてビールとつまみをもって激励にいった時には、 圭一さんは満面の笑みで喜んでくれたので、それからも時々差し入れを持って行った。 そして、なにより面白いと思ったのは、圭一さんの趣味である園芸だった。 休みの日ともなると、熱心にベランダの植物の手入れをしている。 わたしが傍らで黙ってその仕草を見ていると、圭一さんも満足げにあごをしゃくりながら、 生き生きとした草花達を見つめた。我が子を見つめるように、優しいまなざしだった。
 だから、私欲のためにわたしを連れてきたのだという当初の考えは、 わたしの浅はかな勘違いだと自然と思えた。
 だが、その気がないわけでもなかった。

 同棲し始めて2週間くらいたったある日の夜中だった。わたしは初めて圭一さんに抱かれた。 その時は二人で居間で映画を見ていた。大して面白いものでもなかったが、 ベッドシーンが強く描かれたいたことはよく覚えている。 それに影響されてだろうか。突然圭一さんはわたしの首へ腕をはわせてきた。 思ってもいなかったことだけにわたしはびくっとしたが、すぐにこれから何をするのかは想像できた。 はじめに唇に柔らかい感触があった。わたしはなされるがままに、目を瞑って応えた。 次にソファに仰向けに寝かされた。蛍光灯の逆光の中に、圭一さんの顔が映った。 圭一さんは「遥歩……」と囁きながら、わたしの髪をやさしくなでた。 わたしの鼓動はどんどん速くなる。圭一さんもそうだったのだろうか。 テレビからあえぎ声が聞こえる中、わたしは生まれて初めてキスをし、男性を受け入れた。 最初は痛いとしか感じなかったが、途中から不思議な感じに襲われた。 それが快感と呼べるのか分からなかったが、じきに圭一さんが果てた。 圭一さんは少し息を乱して、痛みに顔をしかめていたわたしに「ごめんな」と謝った。 わたしは笑って「ううん」と首を振って応えた。 「どうだった?」と問いかけると、「よかったよ」といって、もう一度唇を重ね合わせた。 だが、行為が終わった途端恥ずかしさがこみ上げてきたので、 そそくさと服を着て、「お風呂入ってくる」と部屋を飛び出した。 結局、わたしとしてはただ痛かっただけだったが、この次はもっと自分も満足でき、 圭一さんを満足させられるように努力しようと思えた、わたしの初めての夜だった。
 だが、『この次』を迎える前に、悪夢は起きてしまった。



2.

 外はからっとした秋晴れで良い天気だったが、わたしは相変わらず家にこもっていた。 大雨に打たれてひいた風邪の治りは芳しくなく、熱が上がったり下がったりの状態がかれこれ10日ほど続いていた。 今日は熱もさほどなく、体調もよかったので、居間でテレビを見ていた。 もっとも、こんなことだから直る風邪も治らないのかとも思ったが。
 圭一さんも連日講義が終わるとすっとんで帰ってきて、わたしの看病をしてくれる。 ありがたい反面、いつまでもぐずぐずと引きずっていることが申し訳ないと感じていた。 だが、圭一さんに面倒を見てもらうのはうれしかった。頼めばなんでもしてくれるので、ついつい甘えてしまう。 圭一さんとしても、そんなわたしの面倒を見るのはうれしいようで、いつも笑顔で接してくれた。
 飲み物を取りにいこうとソファから腰をあげると、小物台に置いてある、小柄の鉢植えが目に入った。 こんなものあったかな、と思いながら近づいてみる。 だがその姿がはっきりと目にとらえられるところまで近づくと、思わず声を失ってしまった。 土から30センチくらいの高さで、枝分かれしながら茎が伸び、それに沿って葉が連なっている。 だが、茎も葉も半透明で、向こう側が透けて見えた。色はといえば、エメラルドグリーンに近いかとも思われたが、 とにかく緑系というだけで、今まで見てきたどんな緑にも当てはまらなかった。 茎の最先端にはつぼみが2つだけついていて、今は静かに息を潜めている。なんとも美しい姿だった。 わたしは半透明の葉に興味を覚えて、少しだけ触れてみた。だが途端に頭の中に稲妻が走り、 目の前が真っ白に染まった。 びっくりして手を引っ込める。 部屋も植物も、何事もなかったかのようにそこに存在している。 何だったのだろう、今のは。 気味が悪くなったので、すぐにその場を離れた。 キッチンで冷蔵庫からお茶を注ぎながら、目に焼き付いて離れない先ほどの一瞬の光景を思い浮かべた。 音もなく、どこまでも永遠に、真っ白な世界が続いている。だが、その中で一つ、黒い影が映っていた。 よく思い出してみると、幼い子供のようなシルエットだった。少しうつむいた角度で立っている。 不意に、意識のなかでその子供がこちらに振り返った。 直後に、わたしは小さく悲鳴をあげ、その意識を振り払った。 寒気で鳥肌が立っていた。一体あれはなんだったのだろう。あの子供は、一体誰だったのだろう。 キッチンから戻ってきて、ソファに腰を下ろす。先ほどの鉢植えは当然、さっきと同じ場所に静かに佇んでいる。 気味が悪いので、あまり見ないようにしようと、目線をテレビへ移した。
 玄関のベルが鳴った。テレビを見ていたはずだが、なんとなくぼうっとしていたわたしは、 ベルの音で我に返った。あわてて自分の格好を見直してみると、あまり人前に出られるような格好ではなかった。 だが、尚もベルは2度3度鳴るので、仕方なく玄関へ向かった。
 ドアを開けてみるとなんてことはない、見知った顔、凛ちゃんがちょこんと立っていた。
「なんだ、凛ちゃんか。」
「お見舞いに来た。」
凛ちゃんは今までも幾度となくわたしを心配して見舞いに来てくれた。 中へ招き入れ、居間へ向かうと、手に持っていたバッグの中から色々と取り出し始めた。 ゼリーからパン、漬け物、健康食品、カップラーメンまで揃っている。
「差し入れ」と、どこにそんなに入っているのだと訝ってしまうほどの物を取り出しながらいった。
「そんな、悪いよ。」
「気にしない、気にしない。」
ようやく取り出し終えた凛ちゃんは、今度はわたしに向き直って、「元気そう」といった。
「うん、今日は結構調子いいんだ」とわたし。
凛ちゃんはほっと安心したように微笑んで、今度は部屋を見回した。
「寝てなかった?」
テレビを点けっぱなしにしていたので、すぐにばれた。
「ほら、今日調子よくって……。」
「なら、丁度いい。」
意外と厳格な凛ちゃんのことだから、病人のくせに起きていたことを咎めるかと思ったが、 おもむろに立ち上がってわたしの部屋へ向かう。 「どうしたの」と訊くと、「お掃除する」との一言。
「いいよ、そんなわざわざ」と一応は止めたが、 凛ちゃんは一度言い出したら必ず自分の任務を遂行するタイプなので、あまり意味のないことだった。 凛ちゃんは無遠慮にわたしの部屋に入ると、すぐにどんすかと掃除を始めたので、 わたしは凛ちゃんが持ってきてくれた差し入れを冷蔵庫へと運ぶことにした。
 掃除が終わると、今度は食事の準備をし出した。 また止めてはみたが、やはり効果はなかった。 仕方なく一人、居間でテレビの続きを見る。
 あり合わせの材料だけでも、凛ちゃんは立派な料理を作り上げた。 それも味も上々で、わたしは凛ちゃんを見直した。 二人で食事を済ませると、今度はすかさずわたしをベッドの中に放り込む。 「もう寝なきゃだめ。薬持ってくる」と、有無を言わさず寝かされてしまった。 洗い物をして、他の部屋の掃除もしたら勝手に帰ると言い添えて、部屋を出て行った。 お腹もふくれて気分も良かったので、あとのことは凛ちゃんに任せて休むことにした。 だから、凛ちゃんが持ってきた薬が睡眠薬であることには、気づく余地もなかった。
 一通りの掃除を済ませると、凛ちゃんはまたわたしの部屋へ入ってきた。 ベッドの中ではわたしが小さな寝息を立てて眠っている。 わたしの頬にそっと手をあて、物憂げな顔つきでしばらくわたしを眺めていた。 すっかり薬が効いているのを確認すると、凛ちゃんはわたしの部屋から音を立てずにそっと出て、 自分のバッグからノートを一冊取り出し、加えて持ってきていた手袋をはめ、圭一さんの部屋へ入っていった。 ノートには部屋の見取り図と家具の配置が大雑把に書き込んである。 まずは、洋服ダンスを下から順に調べていく。 特になにもなければ×印をノートに書き込む。不審なものを見つければ、ノートに新しくメモを書き加える。 しばらくは×印を書き込む作業が続いたが、書棚を調べていると小物入れらしき直方体のケースが並べられていた。 そっと取り出してみると、なかでガラスがぶつかり合う音が聞こえた。 凛ちゃんは少し顔をこわばらせて、その箱を開いた。中には4本の試験管が、栓をされた状態でしまわれている。 中には赤黒い液体が少量ずつ入っていた。凛ちゃんは一目で血液だとわかった。 バッグからガラス瓶をだし、試験管の1本から少し瓶に移し替え、もとに戻した。 この段階ではこれが誰のもので、何の目的で保存されているのか分からなかったが、 重要な物的証拠の一つには変わりなかった。 その後も一通り物色したが、他に目新しいものは見つからなかったので、 荷物をバッグに詰め直し、そっと部屋を出た。 帰り際にもう一度わたしの部屋を訪れた。相変わらず平和そうな顔で眠っているわたしがいた。 凛ちゃんは静かに別れを告げ、部屋を出た。家の外から預かっていた鍵でしっかりと鍵をしめ、 ドアポストへ投函し、マンションを後にした。



3.

 わたしが初めて圭一さんに抱かれた日から3日後のことだった。 朝から特に変わったことはなかった。圭一さんはいつも通り大学へ出勤し、 当時高校生だったわたしは学校が休校となっていたため、することもないので 家の掃除をしたり買い物をしたりしながら一日を過ごしていた。 学校へ通っているときは、こんなに休みが取れたらどれだけ幸せかといつも思っていたが、 実際にそうなるとすぐにやることがなくなって退屈になった。 時々は友人の家へ遊びにも出かけたが、今の家からだと結構な距離があるので、 頻繁に訪れることはできず、次第にその回数も減っていった。
 だからその日も家事を終えると、お菓子を片手にテレビを観ていた。 不意にがちゃり、と玄関の鍵が開いた。 鍵を持っているのは圭一さんかわたしだけだったので、圭一さんが帰ってきたことはすぐにわかった。 だが、まだ日も高い昼間である。こんな時間に帰ってくるなんて珍しいなと思いながら、 部屋へ入ってくるのを待っていた。
 居間のドアを開けて圭一さんが入ってきた。座りながら振り向いて、「おかえりなさい」と返事をした。 だが、その顔を見た瞬間、わたしは石化したかのように動けなくなってしまった。
 外見は確かに圭一さんだった。だがその顔には不気味な笑みが浮かんでおり、 眼鏡越しに見える瞳はぎらぎらと暗い光を発していた。獲物を探している、そんな目だった。 実際にそうだったのかは分からない。わたしだけそんな風に見えたのかもしれない。 しかし、いつもの優しい圭一さんでないことだけはすぐに分かった。 そしてその背景には、わたしに危険が迫っていることも直感的に感じ取れた。 目が合うとわたしは金縛りにあったように硬直してしまう。 すると圭一さんは笑みを浮かべた口から「遥歩……」と一言発し、わたしへ一歩近づいた。 逃げなければ。そうは思ったが、怖くて体が動かない。心の中で圭一さんの名を呼び続けた。 一瞬あとに、わたしは床へ押し倒された。突然のことだったので頭を打ってしまった。 絨毯が敷いてあったので痛みは和らいだが、それでも顔をしかめるほどの痛みが走った。 目を開けると圭一さんが馬乗りになってわたしをのぞき込んでいた。 わたしは全身ふるえが止まらなかった。 恐怖で半ば開いた口で、「やめて……」というのが精一杯だった。
 圭一さんはわたしの両肩に力をのせて押さえ、次に自分の唇をわたしのそれに重ね合わせた。 前回の時とは比べものにならないほど強く吸引し、息ができず苦しんだわたしはじたばたと暴れて、 なんとか圭一さんを突き放そうとした。 だが、いくら華奢な体といえど、非力なわたしの力ではそれは叶わなかった。 やっと唇を解放され、ぜいぜいと荒い息を吐く。 圭一さんは休むことなく、今度はわたしのTシャツへ手をかけ、 「いやっ!」と抵抗するわたしを無視して一気にまくし上げた。 まだ幼さの残る、白い体があらわになった。圭一さんは残った邪魔なブラをつかみ、一気に引きちぎる。 わたしは泣いていた。怖さもあったが、なによりも信じていた圭一さんが こんなことをすることが信じられず、悲しかった。 圭一さんはわたしの小さな丘陵へ顔を沈め、舌をはわせる。ぞっとした体感に思わず悲鳴を上げてしまう。 抵抗しても無駄だと分かっていたが、それでも必死に体から圭一さんを引き離そうとずっと肩を押していた。 しかし、次第にその気力も失せてき、泣きながらわずかに抗うだけとなっていった。
 上半身を隅々まで堪能すると、圭一さんはいよいよ残った下半身へと手を伸ばした。 腰を浮かせたのでわたしはやっと自由になったが、逃げる力はもはや残っていなかった。 圭一さんはわたしのジーンズのホックを外し、下着ごと一度に降ろして、脱ぎ捨てた。 そしてわたしの足首を持ち上げ、堅く硬直しきった圭一さんのものを、一気に秘所へ突き刺した。
「いたあいっ!!」
突如走った激痛に、わたしは悲鳴を上げた。 先日一度通してはいるものの、まだ慣れていないわたしにとっては、 その一撃は到底耐えられる痛さではなかった。
「いい顔だ……」
悲痛に顔をゆがめるわたしをのぞき込んで、圭一さんは言った。
「痛みに耐える遥歩の顔、素敵だよ……」
圭一さんの顔を見ると、うすら笑いを浮かべて、満足そうにわたしを見ている。 圭一さんじゃない、こいつは悪魔だ。 わたしは思わず顔を逸らし、目をきゅっと閉じて「ひどい……」と呟いた。 そんな言葉は聞こえてか聞こえずか、圭一さんは躊躇いなく腰を激しく打ちつけはじめる。 突き上げるたびに喘ぐわたしを「かわいいよ」と形容しながら、徐々にその速度を上げていく。 いつ終わるとも分からない強姦に、わたしはただただ心の中で助けを求めることしかできなかった。 助けて、圭一さん……。
 やがて圭一さんは絶頂を迎え、わたしの体内へ欲望をはき出した。 わたしも圭一さんも肩で息をしている。最後の一滴まで出し切ると、わたしから弱く衰えたものを引き抜いた。 ぼうっとした頭のなかで、やっと解放されたという安堵感が生まれた。 だが、その安堵感は圭一さんの一言で一気に打ち砕かれた。
「さあ、まだまだこんなものじゃ終わらないぞ……」
ぎらぎらと光る圭一さんの瞳の中に、絶望感に包まれて泣いているわたしがいた。

 一体何度犯されただろうか。
 いっそのこと失神してしまいたかったが、次々と襲いかかる痛み、 体感がそうはさせてくれなかった。 たった数十分前まではいつもと変わらぬ平穏な時間が流れていたはずなのに、 今はこの恐ろしい時間が永遠に続くかと思われた。
 だが、それは突然終わりを告げた。休むことなく突き続けてきた圭一さんの動きがぴたりととまった。 恐る恐る目を開けて見てみると、圭一さんは両手で頭を抱え、低いうなり声を上げていた。 何が起きたのか分からなかったが、次の瞬間に「うわああっ!!」と奇声をあげ、 わたしの体から離れて床へ転がり落ちた。 体は自由になったが、身も心も疲れ切っていて動けなかったので、そのままの体勢で苦しむ圭一さんを呆然と見ていた。 やがてうなり声もやみ、顔を上げた圭一さんは、いつもの圭一さんに戻っていた。 しばらくは焦点が合わないようで視線が空中を漂っていたが、 ようやく倒れているわたしを認識すると、何が起こったのか分からないといったふうに、 「あ、遥歩……」とぽつりと呟いた。 しかし、目の前に映るわたしは全身精液まみれで、顔も涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。 股から流れ出た血はわたしの太股や絨毯を赤黒く汚していた。 そして、自分も全裸であることに気づくと、ようやく自分が何をしでかしたのか認識したようだった。
 圭一さんは今度は恐怖で悲鳴をあげた。

 圭一さんはホットミルクを入れてくれたが、底の見通せない白く濁った水面をみると、口を付けるのを躊躇った。 口の中に放たれたなまなましい液体の感触が蘇り、唇を押さえてしまう。 今は一応二人とも服を着、ソファに腰掛けていた。どちらも微動だにせず、静かに時だけが流れていた。
 圭一さんは立ち上がって、出窓を開けて風を通した。日は西に傾き、空は徐々にオレンジ色に染まりつつある。 しばらく立ったまま外を眺めていたが、悩んだあげく絞り出したような声で言った。
「俺は精神病を患ってるんだ。」
圭一さんは振り返って、出窓に寄りかかりながら続けた。
「普段から薬を飲み続けていれば問題はない。時々軽い発作が起きることもあるが、 薬さえ定期的に飲んでいればそれもすぐにおさまる。 少なくとも、自分の意識が遠のくようなことはないんだ。ただ……。」
圭一さんはわたしを一瞥したが、わたしはずっと俯いたままだった。 構わずに圭一さんは続けた。
「薬を切らすと、発作が起きやすくなる。一度起きると、自分の意志だけじゃ体も頭も制御できなくなる時もある。 今日はたまたま持ち歩いている分の薬が切れていたんだ。 学部長には連絡して早上がりした。だけど、帰りの運転中に運悪く…… 気がついた時には君が……俺は初めて自分を呪い殺したくなったよ。 よりにもよって君に危害を加えて……。」
圭一さんは泣いていた。握られた拳が小刻みにふるえている。
「どうして……。」
圭一さんの言葉を遮って突然わたしが声を上げたので、圭一さんは驚いた。
「どうして、そのことを教えてくれなかったの?」
わたしもまた、ふるえる声で言った。わたしは悔しかった。 そんな重要なことを自分に話してくれなかった圭一さんが恨めしかったし、 そして話し相手とされなかった自分自身が悔しくてたまらなかった。 わたしは一体圭一さんの何だったのだろうか。 連れてこられてから幾度となく考えたことだが、今ほど強く感じることはかつてなかった。 わたしは圭一さんが好きだった。たとえあんな目に遭わされても、その気持ちは変わらない。 だからこそ、圭一さんが自分を認めてくれないことに憤りを覚えた。
「隠していたわけじゃないんだ。だけど、教えたくなかった……。」
「圭一さんにとって、わたしはそんなに価値のない人間なの?」
今度は顔をあげて、圭一さんを睨みつけるように見ながら言った。 あんなことのあとなので、圭一さんはてっきり自分のことを軽蔑していると思っていたらしく、 わたしが思いがけないことを言い出したので、呆気にとられてわたしを見返した。
「余計な心配をかけたくなかったんだ。 ただでさえ君は辛い思いをしているのに。」
「わたしは辛くなんかない。」
わたしは強い口調で言った。これまで見せたことのない態度に、圭一さんは戸惑っているようだった。
「辛くなんかない。確かに、あの大地震でお父さんもお母さんも失った。家も学校も失った。 けど、今は圭一さんがいる。一人なんかじゃない。 別にわたしを失ったわけでも、未来を失ったわけでもないんだから。」
わたしには圭一さんがいれば……、と言いかけたが、口を紡いだ。 そんなことを言われても本気で受け止めないだろうし、今言っても圭一さんが迷惑なだけだ。
「圭一さんと会ってからずっと感じてた。いつもわたしに気を遣って慰めたり励ましたりしてた。 けど、そういうのは嫌なの。わたしは圭一さんと対等な立場でいたい。 それは、圭一さんの方が年上だし、対等なんてあつかましいかも知れないけど、 わたしが一方的に特別扱いはされたくない。」
しばしの間静寂に包まれた。やがて圭一さんはぽつりと口を開いた。
「遥歩は……俺にとって大切な人だよ。」
もうそこには、いつもの優しい圭一さんの声が戻ってきていた。
「さっき君は一方的に特別扱いしている、慰めたり励ましてると言ったね。 けど、そんなことはない。俺の方こそ、 遥歩が居てくれるから頑張ろうって気にもなれるし、 心が沈んでいても遥歩が笑ってくれるとそんな気も晴れる。 俺にとっても遥歩という存在は、強い存在なんだ。」
思ってもいなかった応えに、わたしはただ目を丸くするしかなかった。
 圭一さんはふらりと窓から背を離し、わたしの横を通り過ぎて居間の出口へ向かった。 わたしは慌てて「圭一さん」と引き留めた。圭一さんは歩みを止めたが、 こちらには振り返らず言った。
「けど、俺が君を陵辱したことに変わりはない。 俺が君に偉そうな口をきくことなんて出来やしないんだ。」
それだけ言うと、圭一さんはドアノブに手をかけ、居間を出ようとした。
「待って!」
わたしは止めたが、無駄だった。最後に一言だけ放って、自室へ引き上げていった。
「君の気持ちは分かるよ。ありがとう。 まだ頭がぼうっとするんだ。少し部屋で休んでるよ。 ……もし体に何か違和感を感じたら言ってくれ。すぐに医者に診てもらうから。」
わたしもまだ頭がぼうっとしている。圭一さんの気持ちも、自分の気持ちも、 分かっているようで分かっていなかったのかも知れない。

 その日以来、圭一さんは決してわたしを抱くことはなかった。



4.

 気がつくと天井を見つめていた。
 カーテンから漏れる昼の日射しが部屋をにわかに照らしている。 手を伸ばして目覚まし時計を掴む。珍しく目覚ましより先に目を覚ましたようだ。 もっとも、目覚ましの時間は10:30と、とても朝とは呼べない時間だったが。
 熱の方は昨日のうちにもうすっかり下がっていたので、今日からまた大学へ通うことにしていた。 まだ支度を始めずとも十分間に合う時間なので、 二度寝しないよう気を引き締めながらベッドの中でごろごろとしていた。
 昨日は久しぶりにあの夢をみた。今まで何度となく繰り返し見てきたあの日の夢。 もう二年以上も経っている。圭一さんもあの日のことにはまったく触れなくなった。 だからといって、あの日のことを忘れているということはないはずだ。 決して消えることのない深い傷となって、死ぬまで体に刻み込まれているだろう。
 わたしが犯された次の日には、圭一さんはもういつもの圭一さんを演じていた。 演じていただけだ。心の中では常にわたしを気遣っていたことが、他人から見ても分かるくらいだった。 圭一さんはああ見えて結構不器用なのだと、わたしはその時思った。 けど、わたしも何も言わず、いつものように振る舞っていた気がした。 一緒に朝食を食べ−−驚くべきことに、この時でもうすでにいつもの会話が成り立っていた−−、 圭一さんを送り出した後、食器の片づけ、部屋の掃除、洗濯、買い物、 そしてお菓子を片手に昼のドラマを観ることも欠かさない。 だが、それら全ては体が勝手に行っていたことだった。 頭の中にはずっと白い霧がかかったまま。 何も考えられず、何も答えを出せない、そんな状況がしばらく続いた気がした。
 わたしは寝返りをうった。
 時間が経てばやがて記憶も褪せていき、楽しいことだろうと悲しいことだろうと、 やがてはほとんど記憶に残らなくなる。 ただ、そんなことがあったという記憶だけは、いつまで経っても消えることはない。 今わたしはそんな感じだ。あの時何があって、何を考えたのか、今ではほとんど思い出せない。 けど、事実だけは記憶に残る。 圭一さんもそうだろうか。圭一さんはわたしと違って頭が良いので、 もしかしたら記憶力もよく、まだあの日のことを鮮明に覚えているかも知れない。 でも、わたしとしては忘れて欲しかった。 わたしも、あの日の出来事そのものを、記憶からきれいさっぱり消し去りたかった。 そうすれば何も気兼ねなく、圭一さんと接していられるだろう。 あの日のことが鎖となってわたしを捕らえ、いつまでも圭一さんに素直な気持ちを言えないでいる。 記憶には良い思い出も悪い思い出も関係ない。記憶は、時に非情なのだ。
 わたしは寝返りをうった。
 そういえば、あの黒服の二人はどうなったのだろうか。
 結局あの日からずっと寝込んでいたので、それからのことは何一つ知らない。 圭一さんにも掻い摘んで話しただけで、その後何も言ってこない。 単に重要なことではなかったからだろうか。いや、そんなことはない。 彼らは拳銃を持っていた。本物かどうかは分からないが、 白昼堂々あんなことをするには、それなりの度胸が必要だろう。 それに、わたし達の名前も知っていたし、あそこにいたということは家まで知っていたということになる。 あの時交わした会話はそれほど多くはない。記憶を辿って思い出してみる。
 まず、男の名前はアイバー。それ以外は分からない。女のほうも、名前はでなかったはずだ。 次に、圭一さんは博士ということも知っていた。ということは大学関係の人間だろうか。 そして、わたしに銃を向けたとき、『いい取引材料になる』と言っていた。 わたしが取引材料?ということは一番危険なのはわたしではないか。 背筋に悪寒が走り、身震いをした。
 わたしは寝返りをうった。
 やはり、圭一さんにもう一度聞いてみよう。はっきりした答えがでないと、どこか落ち着かない。 もう一度目覚ましを手に取る。10:20。そろそろ起きて、身支度をしよう。
 家を出るとき、念のため周りに怪しい人影がいないか注意していたが、 この時間帯は大体が出かけており、今頃出家を出るのはこそこそと周りを伺うわたしくらいだった。 駅へ続く商店街を歩くときも、できるだけ周りに目を配らせながら歩いたが、 これと言って不審な人影は見当たらなかった。
 久しぶりに出る街は気持ちがよかった。世間はすっかり秋色に染まっていた。

5.

 「まったく、2週間も大学さぼって、いい気なもんよね、遥歩は。」
みんなで食後にデザートのゼリーをついばみながら、美里ちゃんはいった。 昼休みにこうして外の芝生で悠々と時間を過ごしているが、 しばらく来なかった間に木々の葉はほとんど枯れ落ち、冷たい風が髪をなびかせる程度に吹いている。 まだ日は高いが、決して暖かいと呼べる気候ではない。気を抜くと風邪をぶり返しそうだ。 みんなで会うのも久しぶりである。凛ちゃんも美里ちゃんもゆかりちゃんも、 わたしが寝込んでいる中、時間を見計らってはお見舞いに来てくれた。 だが、こうしてみんな揃うのは、そう、実に2週間ぶりくらいだ。
「遥歩がいないと、凛まで元気なくしちゃうし。」
凛ちゃんをみると、小さい口で少しずつゼリーを口に運びながら、わたしを眺めている。 その表情は穏やかに微笑んでいて、わたしが元気になったことで心から安堵しているようだった。
「わたしだって、休みたくて休んでたわけじゃないんだから。」
わたしも反論する。サボり魔の美里ちゃんにとって、2週間休むのがどれだけ嬉しいことか、 わたしには理解しかねた。
「でも、元気になってよかったよ。てっきり、 ウチのコンビニで買った弁当があたったんじゃないかって心配してたんだから。」
ゆかりちゃんが冗談交じりにいった。結局、あのお弁当は圭一さんが食べてしまったのだが。
 それにしても、あの雨のなか突然圭一さんの研究室に飛び込んだ、というスキャンダルは、 どうやら知られていないようだったので、わたしは密かにほっとした。 特に美里ちゃんに知られると、どれだけ茶化されるか想像するだけで怖くなる。
「それじゃ、遥歩全快記念に、今日はカラオケかどこかに……。」
「こら、遥歩はまだ病み上がりなんだから、無理させちゃダメだよ。」
いつもながらのハイテンションな美里ちゃんをゆかりちゃんがせき止め、 それを傍らで笑っているわたしと凛ちゃん。 何の変哲もない時間だが、そこには確かに安らぎがあった。
 ふと、美里ちゃんが声を上げた。
「あれ?あそこにいるの、センセじゃない?」
美里ちゃんの指さす方向の先200メートルくらいに、確かに圭一さんと、そして今野先生がいた。 二人が近づいてくると美里ちゃんは手をぶんぶん振って、こちらに気がつかせようとした。 先に気がついたのは今野先生だ。隣に並んで歩く圭一さんに話しかけている様が見えた。 途端に、わたしの胸の中は熱くなる。二人はこちらへ方角を変えて歩み寄ってきた。
「やあみんな、おそろいで。」
わたしと圭一さんの関係から、みんなも圭一さんとは親しかった。 それに今日は、学生から大人気の今野先生も一緒だ。
 今野真希。圭一さんより一つ下で、大学時代同じ研究室に所属していたという。 ということは、専攻は生命工学のはずなのに、なぜか現在は工学部の電子工学科の助教授を務める。 圭一さんは当時の学生の中でも際だった学力を示していたが、 今野先生もそれに劣らないほどの優秀な学生だったと聞いたことがある。 人気がある一番の理由は、その容姿である。 身長は圭一さんの肩に届くくらい、高すぎず低すぎずで、女性の理想の身長だった。 加えてウエストも締まっており、体型だけを見ても羨ましがらない女性はほとんどいないだろう。 顔もどこか幼さの残った、それでいて美しい輪郭で、これが男女問わず人気を集める理由である。
 共に博士の称号を得てこうして助教授を務めているわけだが、 わたしは今野先生が圭一さんと一緒にいると、わずかながら焦りを感じる。 圭一さんは、今野先生とはただの元学友であり旧友で、それ以上の関係ではないと言っているが、 実際二人で話している姿はそれを簡単に肯定できるものではなかった。 圭一さんは誰に対しても笑顔で接するが、今野先生に限っては特に笑顔になる、そんな気がしてやまなかった。 わたしのこの気持ちは嫉妬心であることは分かっていた。 その嫉妬心から、わたしは今野先生を好きになることができなかった。
「風邪でずっと休んでたって聞いたけど、元気そうね、遥歩ちゃん。」
「ええ」と、簡単に返事をして、わたしは視線を外した。 美里ちゃんとゆかりちゃんは、今野先生の身につけていたアクセサリについて色々と質問攻めにしていた。 わたしが何となく暗い表情をしていたので、圭一さんは不審がってわたしに近づいてきた。
「どうしたんだ、遥歩。まだ体調が悪いのか?」
「ううん、そうじゃない。大丈夫。」と、わたしはぶっきらぼうに応えた。 次いで圭一さんは隣に腰を下ろしていた凛ちゃんに「柳本さんも、何度か遥歩を見舞いに来てくれたそうだね。 ありがとう」と感謝の言葉を述べていた。
「友達ならあたりまえ」と、凛ちゃんはそっけなくいった。 もっとも、凛ちゃんのそっけなさは今に始まったことではないが。
「河上先生、そろそろ行きません?」
かがんでいた圭一さんに、今野先生は促した。圭一さんは「そうだな」と言いながら膝を伸ばして立ち上がった。
「二人してどこ行くの?」と、美里ちゃんは無遠慮に聞く。
「今野さんは教員会議、俺はただ実験器具の調達に行くだけさ」と圭一さん。
「でも、二人で仲良く並んで歩いてると、よからぬ噂が立つかもよ?」
わたしは一瞬どきっとしたが、そんな冗談を圭一さんは、 「遠山さんが黙ってれば心配ないよ」と軽く受け流していた。 二人は軽く手を振りながら、丘の上へ歩いていった。 わたしはその後ろ姿を、見えなくなるまでぼんやりと眺めていた。
 その後、わたしは2時間講義を受けたが、どちらもどこか上の空で、釈然としないまま帰宅した。

 日はすっかり短くなっていたので、居間で本を読んでいても、いつの間にか字が読めなくなるほど暗くなっていた。 わたしは本をテーブルに置いて、紅茶を一杯すすって一息ついた。 ちらりと小物台に目を向けると、そこにはあの不思議な鉢植えが鎮座していた。 あたりは薄闇に包まれているのに、その植物だけはまるで自分で光を発しているかのように、 白くくっきりとしたシルエットが目に映る。 そういえば、あの植物に触れたときに、一瞬だけ脳裏に映った真っ白な世界と一つの人影。 あれは一体何だったのだろう。最近わたしの身の回りには、変わったことがしょっちゅう起きている気がする。
 玄関の鍵が開いた。圭一さんが帰ってきたようだ。 だが、いつもより時間が早かったので、まだ夕飯の準備もしていなかった。 とりあえず、食前にあの話をしようかと思いながら、居間の扉を開ける。
 しかし、その直後、わたしは自分の目を疑った。
 確かに圭一さんが立っていた。だがそれは、圭一さんではなかった。 忘れかけていた記憶が一瞬にして蘇る。あの時の眼、あの時の笑みを浮かべた圭一さんが、そこにはいた。 わたしは恐怖でその場に立ちすくんでしまった。あの日の出来事が鮮明に頭の中を駆けめぐる。 気がつくと圭一さんはわたしの肩に手をかけ、わたしを後ろに押し倒そうとした。 なんとか寸前で反応できたので、頭までは打たなかったが、思い切り背中をうって思わずうめき声を上げてしまう。 そしてその直後、圭一さんの顔を直視する。まただ。また発作が……。
 突然圭一さんはわたしの唇に吸い付き、舌をわたしの口内へ進入させた。 声を上げようとしたが口を塞がれていては声にならない。かといって噛みつくわけにもいかず、 必死で顔を引き離そうとした。 圭一さんは唇から顔を離し、左手で口元をぬぐった。ダメだ、またあの時と同じだ。なんとかしなければ……。
 圭一さんは服の上からわたしの両胸を掴みかかった。 それは、揉むというよりは引きちぎるのではないかというくらいの力で、わたしは堪らず悲鳴をあげた。 次に、服のしたに手を潜らせ、ブラをはぎ取って直に揉み出す。爪が肌に食い込んでも構わずし続けるので、 わたしはまた痛みに襲われた。
「圭一さん、お願い、やめ……」
わたしの言葉を遮るように、圭一さんはまた唇を合わせた。あまりに無力なわたしは、 ただ床をのたうち回ることしかできなかった。
 圭一さんは自分のズボンに手をかけた。もうダメだ、また犯される。 わたしは覚悟を決めた。ところが、圭一さんはその瞬間にうめき声をあげ、 わたしの体の上から床へ転がり落ちた。 わたしはこの一瞬の隙をついてキッチンへ駆けだし、戸棚の奥から薬の瓶をひっつかんで、 コップに水を汲み、玄関へと急いだ。 圭一さんはまだ苦しそうに床を転げ回っている。仕方ないので、今度は逆にわたしが圭一さんに馬乗りになり、 なんとか動きを封じた。
「圭一さん、薬!お願い、飲んで!」
わたしも夢中になって圭一さんをなだめようと、肩を押さえつけた。 一瞬圭一さんの動きが止まったので、わたしはその機に錠剤を2粒口の中に込め、水を流し込んだ。 一度むせて咳き込んだが、薬は飲み込んだようだった。
「お願い、圭一さん!いつもの圭一さんに戻って!」
わたしの言葉が届いているかは定かでなかったが、次第に動かなくなり、気を失ったようだった。 玄関はまた静寂に包まれた。 手に持っていた薬の瓶に、涙が一滴したたり落ちた。

 圭一さんは割とすぐに意識を取り戻した。 自分がどこにいるのか認識できないようだったが、 わたしのことを見てようやく自分のベッドだということに気がついた。
「遥歩……?」
「大丈夫、圭一さん?」
わたは圭一さんをベッドに寝かせたが、何をすればいいのか分からなかったので、 とりあえず頭を冷やすためにタオルと氷水を入れた洗面器を用意し、ベッドの傍らで見守っていた。
「俺は、一体何を……?」
やはり、先の意識はなかったようだった。
「圭一さん、また発作が起きたみたいで……。」
わたしが言うと、圭一さんは顔色を変えて、いつもの圭一さんらしくない、取り乱した口調で言った。
「ま、まさか、また俺は君を!?」
わたしは首を振った。
「……何もしなかったよ。ただ、玄関を開けて入ってきたところで、気を失ったみたいだった。」
圭一さんは心底ほっとしているのが見て取れた。これでいいのだ。覚えていないのなら、 こう言っておいたほうが圭一さんのためにも、わたしのためにもなる。 わたしだって、圭一さんがまたわたしを犯そうとしていたなんて事実は否定したい。 たとえ事実に心が負けようとも、わたしは圭一さんと繋がってさえすればそれでいい。
「ごめん、また心配かけたな。」
圭一さんは独り言のように、中空へむかって話した。
「薬を飲んでても時々発作は起こるんだ。 いつもなら軽くめまいがするとかそのくらいなんだけど、 今日みたいなこともあるみたいだな。ごめんな、遥歩。迷惑ばかりかけて。」
「気にしないで、そんなこと。」
わたしはなるべく明るい声で言った。
「大学の方には一応連絡しておいたから、心配しないで。 ご飯の支度、今からだけど、圭一さん食べられそう?」
ふうっと長いため息をついて、圭一さんは言った。
「そうだな、一応準備はしておいて貰おうかな。食べられるかは分からないけど。 まだ少し頭が痛いんだ。」
わたしは分かったと返事をし、洗面器とタオルを持って立ち上がった。
「無理しないで、ゆっくり休んでね。」
そう言って、わたしは部屋を出た。
 圭一さんはおもむろに両手をかざした。爪をよく見ると、血痕のようなものが付いていた。
「遥歩……」
両手で顔を覆った。手の平からは、わずかにわたしの匂いが窺えたはずだった。

 時は11月半ばにさしかかり、いよいよ本格的に寒くなりだした。 そして冬を歓迎するかのように、居間の不思議な植物は、しずかにそのつぼみを開いた。

第三話

第五話